堀内組を動かすヒト

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 工務部 佐藤さん(勤続20年/40代)

20代で都内からUターン後転職して入社

工務部で施工管理技士をしている佐藤さん。Uターンして堀内組に転職。大きな公共工事から、住宅、古民家移築や伝統構法などの住宅にも関わっています。

>ご出身はどちらですか?

長野県の軽井沢町です。高校までこちらにいて、卒業後都内の専門学校に進学しました。

>学校卒業後は都内に就職されたんですか?

そうですね。都内の設計会社に就職しました。おもにワンルームマンションの設計を行う会社で、その中で、新規マンション物件の土地探しとかを担当していました。

>Uターンされてきたのは、いつ頃でしょうか?

就職後2年ぐらいで体調をくずして、平成3年ごろにもどってきました。その後、体調の回復を待って地元軽井沢の建設会社に就職しました。そこで10年ほど別荘や住宅の施工管理の仕事をしてました。

>堀内組に転職されたのはなぜですか?

堀内組が、古民家の再生事業などを手掛けていると聞いたからです。実は自分が建築をやりたいと思ったのは、子供の頃、住んでいた家の小屋裏に登ったときに小屋組みを見たのがきっかけでした。豪快な小屋組みに圧倒されて、自分もあれを作ってみたい、やってみたいと思ったのが建築を志したきっかけだったので、堀内組で、ようやくできると思って転職しました。

>堀内組に入って、その夢がかなったんですね!いろいろ現場に関わって来られたとおもいますが、記憶にのこってる現場はどこですか?

一番大掛かりなものとしては、古民家というか、『小諸城の大手門』の再生に関われたのが記憶に強く残ってます。やっぱり歴史的な建物ですし、城の門という普通の建物とはことなっていて、勉強になりました。あとは、伝統構法を得意とする建築家の方との仕事だった『あゆみ保育園』ですね。新築物件だけど、伝統構法という古い技術を否定せず、今の建築基準や安全性を担保しながら取り入れたものでした。また、南佐久郡麦草峠の白駒池のほとりの『白駒山荘』の現場では、厳しい自然環境の中で、軒の出方をいかに確保しようかと考えた時に、伝統構法の出桁の技術を使って解決しました。

>古民家再生にかかわってどうでしたか?

日本の伝統的な技術ですし、無くならないように、繋いで行きたいと思っていて、この技術を後世につないで行きたいって思ってます。なので自宅も自分で設計、施工管理して伝統構法で建てました。土を藁とねって真壁をつくって、上田市丸子町の棟梁に手刻みで材木を加工してもらって組みました。もちろん、堀内組の施工です。

>今は、どちらにお住まいなんですか?

堀内組のある佐久市の隣の御代田町です。実家のある軽井沢と職場のある佐久の中間地点を選んだ感じです。どちらにも30分ぐらいでいけるのが利点です。

>Uターンして今の場所に暮らして良くなったことってやはり多いでしょうか?

通勤時間は首都圏で働いてたときより格段に短くなりましたから、家族と過ごす時間は増えました。そしてやっぱり、自分の夢だった伝統構法の自宅を建てられたこともあります。広い空が見える環境で、子供をのびのび育てられるのも都会には無い魅力だと思います。

>これからやってみたい仕事は?

堀内組のある佐久市には龍岡城という、日本では函館とここの2つしかない珍しい五稜郭様式の城跡(※1)があります。実は、これが建てられた当時、堀内組が関わっていたことや、今も当時の建物の一部が移築されて市内に残っているので、文化財として価値の高いものなので、いつか、これを再建できないかなと思っています。

※1龍岡藩は1万6千石の小藩で、城主の格式は認められていないため、厳密には城ではなく陣屋である。

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